Hyundaさん
2017年度
Pratt Institute MWP College of Art and Design
Communication Design (グラフィックデザイン)科入学
狭い日本を飛び出したい。
そこで自分の好きなことを深めたい。
この二つの思いから、留学を決めた、半年後――。
2016年、4月23日の正午。ひょんだ、アメリカの地に降り立ちまーすっ。
と軽やかにいきたかったのだが、現実はそうはいかず。初めてのフライトに13時間耐え、体はヘトヘト。無事に予約したアパートメントホテルにたどり着けるのか、心配で心はドキドキ。
そんな状態の中、アパートメントホテルの追加サービスで頼んでた車の運転手さんを無事に発見。少しだけ心の重荷が降りたところで、やっと初アメリカを味わえた。
車の窓から見える景色は日本で見るそれと、やっぱり全然違う。どこが違うんだろう。
ちょっとした間違い探しのように景色を見て楽しみながらしばらくすると、ついに現れるマンハッタンの高層ビル。これぞTHEニューヨーク。興奮のあまり、運転手さんの存在を忘れて写真を撮りまくる私。もちろんその写真は今でも持っている。
そこからの景色は車が進むごとに雰囲気を変えていった。まるで映画のセットのようなその街並みに感動していると、ルームシェアの部屋を見つけるまでの少しの間のみ滞在するアパートメントホテルに到着した。重いスーツケースをアパートの中までえっちらおっちらと運びながら中に入る。その後は疲れと時差ボケでベッドにダイブしたところでニューヨーク初日が終わった。
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それから早一年。
P.I. ART CENTERに入学したのが昨日のことのように思える。
2017年4月22日。
P.I. ART CENTERを卒業し、この年の秋にPrattMWPに入学することが決まっているのだ。
実は私、受かったのはPrattMWPだけでなく、Pratt Instituteも受かっていた。普通に考えて、歴史がより深い後者を選ぶと思うのだが、あえて最近できたPrattMWPを選んだその理由は簡単。
奨学金がもらえたからだ!
全額免除まではいけなかったが、一部負担してくれるというありがたい申し出。授業の質も内容もPratt Instituteとほぼ同じ。それにキレイなキャンパス。結局卒業はPratt Instituteでするのだから、2年PrattMWPで、残りの2年をPratt Istituteで励むくらいなんのことない。
ニューヨーク市から列車で片道6時間、車では片道3時間という、なんとも気の遠くなるような引っ越しが待ち受けていたが、奨学金と授業環境でその苦労は全てちゃらにしてもいいくらいに思ってる。
受験に受かったところで、あっという間に過ぎた一年をざっと振り返って、思う。
ふっ、ちょちょいのちょ――いなわけあるはずなく。ここまで来るのに数多の苦難と不安が・・・印象に残ったエピソードを教えよう。
まず、家問題。
世界中の人が一挙に集まるマンハッタン。自ずと住居の需要も高まり、値段も上がる。中には前金や家賃で詐欺やトラブルに巻き込まれる留学生が後を絶たないと耳にしていた、私。初ニューヨークでそんなことにはなりたくないので、信用のできそうな日系の不動産から紹介された清潔でキレイな部屋をシャアハウスすることに。問題は住み始めてから2ヶ月で起こった。
その日、いつものようにP.I. ART CENTERに朝通学していたところに、フロア管理者からラインが入る。まとめると、内容はこうだ。
・来月から家賃が上がる。
・ニューヨークでは良くあること。
住むと決めた時に交わした契約書はなんの意味があるのか。まだ2ヶ月しか経ってないのに、あんまりではないか。
お金に余裕がない私には受け入れられない内容だった。
そこから家探しの毎日が始まる。新しい自分の住居を日系掲示板で探し、同時に今いる住居の住人を募集するのを手伝い、尚且つ、学校でアートの課題とTOEFLの勉強をこなす。
ストレスで胃がやられる寸前でした。
そこで気づく、日本の家のありがたみ。安定した家があるというだけで、心の平穏を保てるのだ。実は一人暮らしも初めてだった私。誰にも頼る人がいない、一人でどうにかするしかない、非力さもひしひしと感じた。
そして、やっと見つけた良さげな住居。ここには一年、何事も問題なく過ごすことができた。(何よりエアコンが付いていて光熱費こみというのがまたなんとも。)
安定した住居を手に入れたおかげで、その後は受験に集中することができた。受かることができた要因としては結構大きな要素だと思う。
次に、課題で。
もともと、『人に何かを効果的に伝える』ということに興味があった私。そこから映画のポスターやコマーシャルなど、制約のある中でいかに効率よく情報を伝えるかっ、のような仕事についたら人生楽しいだろうなと考えていたのがきっかけ。
美術の予備校、しかも広告とアートが溢れるニューヨークにあるP. I. ART CENTERはそんな私の望みにぴったり当てはまり、留学することを決めたのだ。
この学校を知ったのは単にGoogleで検索しただけという、運命も何もないような成り行きだが、私はP.I.に留学して良かったと思っている。
その分、課題には苦労させられた。
自分が望む作品を作ろうと思うと、時間がかかる。でも授業開始の時間は刻々と迫ってくるのだ。
間に合うかっ。間に合わないのかっ!?
何度そう思ったか分からない。分からないが、なんとかやり遂げたことは覚えている。
一番大変だったのはアクリル絵の具を主に使う、ペインティングの授業。名のある有名な先生に教えてもらう機会があるのはとても光栄なことだ。けれども、その先生のパッションとエナジーについていくのに必死だった。ましてやアクリル絵の具でキャンバスに描くなど、日本にいる時に経験など一度もしたことがない。未熟な自分を感じつつ、もっと上手くなりたいっ、でもどうやってっ。と、自問自答を繰り返し、自分なりに考えて描いていく。
その先生のおかげで初めの頃よりも絵とはどう描くものなのか、どういうものなのか、を学ぶことができた。きっとここで学んだことはこれからも生きてくると思う。その先生には本当に感謝だ。
それでも、クオリティは果たして受験に対応できるレベルなのかとまた不安が毎度過ぎった。これを考えない日はなかったと思う。不安に思うたびに同じく入学を目指す友達や先生に聞いて意見を聞き参考にする。これを何度も繰り返してportfolioを仕上げることができたのだ。
これを読んでいる未来のP.I.生も、私と同じようなことを経験するかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも、その時にこれが役に立つようなことがあれば、これを書いた甲斐があります。不安に打ち勝って合格を手に入れてください。